南米自転車旅行記ペルー編1

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ペルー北部の砂漠を走る

 エクアドルのワキジャスの町外れにある小さな橋を渡ると、そこはもうペルーだ。ペルーに入ると景色が乾燥したものになり、やがて砂漠になる。砂漠の中、パンアメリカンハイウエイを南下する。季節風の関係か、いつも南からの向かい風が吹いている。午前中はそれほど風が強くなく何とか走れるのだが、午後になると強くなってきて走るのがほとんど不可能になる。そして砂丘をいくつも越えるため、アップダウンが多くある。
 ペルー北部の街ピウラで、自転車を止めてハンドルを持った状態で、ホテルを探すためにガイドブックを見ていた。そのとき後ろで人の気配がするので振り向くと、一人のオッサンが、自転車の荷台に積んである荷物をくくっているヒモを外そうとしている。オッサンはさっと知らないふりをしてどこかへ行った。危ないところだった。
 ピウラから次の街チクラヨまでの約200キロの間はほとんど砂漠だけの無人地帯が続く。ペルーは治安が良くないようなので、途中何もないところでキャンプするのも不安だ。走る気力を無くし、この間はバスを使うことにする。結局これは正解だったようだ。後で聞いた話によると、このピウラ、チクラヨ間では多くの自転車旅行者が襲われているという。私と同時期にここを走った、自転車で世界一周中の日本人は、ここで3人組の強盗に襲われて自転車と財布以外すべて盗られたという。
 チクラヨ周辺にあるプレインカ時代(インカ帝国より前の時代)の遺跡を見て回った後、再び自転車で走る。向かい風と、どこまで行っても変わらない砂漠の景色に走るのに嫌気がさしてきた。すこし気分転換しようと、パカスマヨの町まで行ったところで、バスでアンデスの山中にあるカハマルカに行ってみることにする。カハマルカの町は標高2750m、インカ帝国最後の皇帝アタワルパがスペイン軍に捕まったところとして有名だ。白壁に赤い瓦屋根のスペイン風の古い町だ。そして山岳地帯に来ると民族衣装のインディオの人々が多くなる。ここは温泉でも有名で、温泉は個室になっていてはだかでゆっくり浸かることができる。バスで再びパカスマヨに戻る。このバスは次の街トルヒーヨまで行くので、楽したい誘惑に負けてトルヒーヨまで乗ってしまう。

走る気力をなくしバスに乗る

 トルヒーヨはペルー北部最大の街で周辺にはプレインカ時代の遺跡が多くある。日干しレンガで作られた巨大なピラミッドや都市の跡等を見て回る。日干しレンガなので長年の間に崩れてしまっているものも多い。しかし、細かい彫刻が刻まれた壁画が復元されている所もある。修復中の所が多く観光的にはまだこれからのようだ。ただそれらの遺跡の周辺にある現在の家々も日干しレンガで作られていて、昔と何も変わっていない。
 トルヒーヨから次の街チンボテまで、また砂漠を走る。昼過ぎ、風が強くなってきてついにダウン。チンボテの街まであと30キロくらいだったが、走ってきたコレクティーボ(小型バス)を止めて乗せてもらう。翌日次の町カスマまで走り、ついに走る気力を無くして、首都のリマまでバスを使うことにする。精神的にかなり疲れているので、リマには日本人宿もあることだし、久しぶりに日本語を話してゆっくりしようと思う。長期旅行では約3ヶ月毎に旅する気力をなくす時期が来るという。連日の向かい風や砂漠の為もあるが、私の旅行も3ヶ月に近くなり、節目の時期だったのだろう。

リマのペンション西海

 リマの街中に入るとスラムのようなみすぼらしい家が多くある。道にゴミが大量に積もっていてきたない。しかし中心部は歴史のある街並みだ。バスターミナルから自転車で日本人宿のペンション西海に向かう。西海の近所で、お祭りみたいなのをやっていて、屋台がたくさん出て人が多くいる。荷物を盗られないかビクビクしながら自転車を押して通る。西海では同宿の人たちと話が盛り上がり翌日の明け方近くまで話をしていた。
 結局リマには11泊して、市場をうろうろしたり、博物館に行ったり、西海に泊まっている人たちと長時間ダラダラと話をしたりして過ごした。西海では奥さんが毎晩ボリュームのある日本食を作ってくれる。部屋は汚いが、泊まっている人の雰囲気が良くついつい長居してしまう。
 日本大使館に私宛の手紙を送ってもらっていたので取りにいった。大使公邸人質事件の起こる前だったが、警戒が厳重で要塞みたいな大使館だった。リマの金持ちが住むミラフローレス地区にも行ってみた。街がきれいでここがあのスラム街と同じ街だとは思えない。店に売っているものの値段まで全然違う。

地上絵のナスカ、そしてアレキパへ

 リマからは、西海に泊まっていて、私と同じく自転車で旅している甫立さんと一緒に走ることになる。甫立さんはカナダのバンクーバーから中米グアテマラまで自転車で走り、そこで一度自転車を売った後、エクアドルのキトまで飛行機で飛び、キトで再び自転車を買ってここまで走ってきたという。
 リマから南もやはり同じような砂漠が続く。ピスコの町から、リトルガラパゴスと呼ばれているバジェスタス島へ船で行くツアーに参加する。島に上陸はできないが、多くのアシカやめずらしい鳥を見ることができる。
 パルパという小さな町で、歩いて町を見て回っていると、いきなり日本語で声をかけられる。日系3世の男の人で日本に4年間働きに行っていたという。家に招待されてセビチェ(生魚と生野菜をレモン汁で和えたペルー版刺身)をごちそうになる。日本にいたときの写真を見せてもらう。ペルーにはこの人のように日本に働きに行っていたという人が多い。
 パルパから少し走ると地上絵で有名なナスカにたどり着く。パンアメリカンハイウエイは地上絵が発見される前に作られたので地上絵の中心部を貫いている。しかし地上から見ている限りただの砂漠だ。ナスカの空港から地上絵上空をセスナで飛ぶフライトが出ている。地上絵が良く見えるように右に左に旋回するので酔いそうになる。地上絵は思ったより広い範囲に渡って描かれている。勝手に入った車のタイヤの跡で消されているところも多い。
 ナスカからロマスという小さな港町まで走ったところで私が風邪をこじらせてしまった。自転車で長距離走るのは無理なので、甫立さんとヒッチハイクしようということになった。パンアメリカンハイウエイに出ると、トラックやバスがたくさん道ばたに止まっている。聞いてみるとパンアメリカンハイウエイを通行止めにして、リマ、アレキパ間でレースをやっているという。そして皆レースの車が行くまで車を止めてのんびり待っている。数時間後、レースの車が行ってしまったので、待っていたトラックやバスは再び走り始める。とにかくチャラの町までヒッチハイクで行く。
 チャラの町からアレキパへ行くバスの時間をあちこちで聞いてみるが、人によって言っていることが違い全くわからない。とにかく次の日の朝から道ばたで、バスが来るかアレキパまで乗せてくれる車が来るまで待つことにする。しかし夕方まで待ってもバスは来ず、アレキパまで乗せてくれる車も現れなかった。ホテルでよくよく聞いてみるとバスは夜中に走っているという。ナスカ、アレキパ間はバスで半日かかり、途中に大きな町もないので夜行バスだけのようだ。次の日、朝4時に起きてアレキパ行きのバスに乗る。やはり砂漠が続き、アップダウンもかなりある。自転車ではかなりしんどそうだ。徐々に標高が上がって、バスは昼頃に標高2300mのペルー第二の都市アレキパに着く。

 ペルー編2に続く

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