文章中の写真をクリックすると大サイズで見ることができます。
![]()
骨董品の街、モンテビデオ
茶色く濁った、海のように広いラプラタ川を渡り、船はウルグアイの首都、モンテビデオに着いた。ここもまたヨーロッパ風の街だ。広場でコンサートをしていたり、それもまたヨーロッパ風だ。ガウチョ(このあたりのカウボーイのこと)博物館では、ウルグアイのかつての栄光の時代の、金銀細工等の装飾品を見ることができる。この国はかつて、ヨーロッパ向けの食料輸出で栄え、世界有数の豊かな国だったそうだ。一緒に博物館を見ていたおじさんが「これらは、みな今はない」と言っていたのが印象に残っている。
市場で昼食を食べていると、隣で飲んでいた若者達のグループにビールを勧められる。一緒に飲んで食べて、写真を撮った。食事代は出してくれた。食べ物など、文化的にはアルゼンチンと似ているが、個人主義のアルゼンチンと違ってウルグアイ人は親切だ。物価もアルゼンチンよりやや安く、落ちつけるところだ。
日曜日にノミの市が開かれていたので行ってみる。通りに露店がたくさん出ていて、生活用品や、服、食べ物、ペットなどを売っている。骨董品の店がよく目に付いた。このモンテビデオの街自体が古い町で、ホテルに置いてある家具や電気製品も骨董品のようだ。過去の栄光の時代を反映して、この街自体が骨董品の街のようだ。
![]()
アスンシオンへ 夜行バスでパラグアイの首都、アスンシオンに向かう。真夜中にパラグアイへの入国審査で起こされる。夜が明けると熱帯風の景色が見えてくる。森や畑の緑と、スペイン風の赤い瓦屋根の家がよく似合っている。
アスンシオンは東洋人が多い街で日系人も多い。ペンションチャコという日系人が経営している宿があると聞いていたので行ってみるが、それらしいのはない。うろうろしていると、日本人のおばさんに声をかけられる。高倉さんといい、前にここでペンションチャコをやっていたが、今はやめて旅行会社だけを経営しているという。高倉さんに紹介してもらって高地県人会館に泊めてもらえることになる。パラグアイには日本から多くの移民の人たちが入植している。高地県人会館はその人達の子息が大学などに通うためアスンシオンにやってきたときに住むための寮のようなところだ。高知県が出資しているが、別に高知県の出身者以外でも利用できる。アスンシオンの街は市場等でごちゃごちゃしている。チリやアルゼンチンの比較的落ちついた街から、久しぶりにごちゃごちゃした所に戻ってきたような気がする。
今、南米では、日本人はブラジルの入国にだけビザが必要だ。ブラジルのビザを取りにブラジル領事館へ行く。普段は翌日発行のはずだが、明日は土曜日で休み。月曜と火曜はセマナ・サンタ(聖週間)で祝日で、4連休になり、発行は水曜日になるそうだ。その間アスンシオンにいてもしょうがないので、高地県人会館の管理人のおじいさんに、「日本人移住地を見にいきたい」と言ってみると、「セマナ・サンタでこの寮からも里帰りする人が多くいるので一緒について行ったらいい。」と言われる。
その日の夜から里帰りするNさんについて行くことになった。Nさんの故郷はアルゼンチンとの国境近くのピラポで、そこはイグアス移住地とともにパラグアイで最大の日本人移住地だ。ピラポの人口は約4000人でそのうち約1000人が日本人だそうだ。広大な土地で大豆を中心に栽培している。今は大豆刈りの季節で毎日コンバインで大豆刈りをしていて忙しい、とのことだが私のような日本から来た者の目で見るとわりとのんびりしているように見える。
Nさんの家に泊めてもらい、お父さんにピラポを案内してもらったり、大豆刈りを見学させてもらう。Nさんの家では毎朝6時頃にNさんの両親とおじいさんのお経の声で目を覚まさせられる。Nさんの家は両親とおじいさん、弟さんと、親戚のおばさんにその娘さんも一緒に暮らしている大家族だ。大家族が一緒にテーブルについて朝食を食べる。食事は多少パラグアイ風になっているが日本食だ。日本人同士では会話もすべて日本語。まるで日本のどこかの田舎の家に来たようだ。日本で失われつつあるものがこんな地球の裏側に残っている。
セマナ・サンタで田舎に帰ってきている人がたくさんいるので、Nさんたちの同窓会があり、私も特別ゲストで招かれた。日本へ働きに出ていて帰ってきている人もいる。バーでビールやウイスキーを飲んで、日本のカラオケで盛り上がる。9ヶ月程日本を離れている私が知らないような新しい曲も多くある。ノリはまさに日本のカラオケと同じだが、若い人たちにしては演歌をよく歌う。日本を離れることで逆に日本的なものへのあこがれが強くなるのだろう。
さんざんお世話になり、餞別までいただいて、アスンシオンに戻る。パラグアイは郵便料金が安く、次に行くブラジルはあまり治安が良くないと聞いていたので、自転車をここから日本に送ることにする。郵便局に自転車を持っていったら、箱詰めしないと送れないと言われる。EMS(国際宅急便)なら送れるといわれてEMSの事務所に持って行き、結局送料はかなり高くついてしまった。

バスでブラジルとの国境の街、シウダ・デル・エステへ。ここは免税の街で、ブラジルやアルゼンチンから物価の安いパラグアイへ多くの人が買い出しに来るところだ。電気製品を初めとする、大免税店街がある。まるで日本の秋葉原なんかのようだ。
世界最大のダム、イタイプーダムを見に行った後、国境の橋を歩いてブラジルに入る。入国管理事務所で、ビザに有効期限が書いていないと言われ、シウダ・デル・エステのブラジル領事館へ行けと言われる。その日はもう領事館が閉まるまで時間がなかったので、またシウダ・デル・エステに一泊して、翌朝ブラジル領事館へ行く。アスンシオンの領事館で書き忘れたようなのでアスンシオンへ戻れと言われる。「そんなことやってられるか」としつこく食い下がったら、だいぶ待たされて、領事らしい人がサインしてくれてパスポートにその旨を書いてくれ、「これで大丈夫だ」と言われる。こんどは問題なく入国できた。